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こどもロック!

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この春、双子のうちの1人が家をでて寮のある高校に進んだ。もしかしたら、このままもう一緒に住むこともないのかもしれないと思ったらいてもたってもいられず歌詞を書いた。ケロに話したら喜んですぐに曲をつけてくれた。
子どもたちは小さいころからたくさん傷ついてしんどい思いをして苦しみ動けなくなることもあった。きっとそれはだれにでもあることだとは思うけど、親としては見守りながら心配で😭
わたしはアフリカに行ったとき人間ってすごくきれいな生き物なんだと思った。それはいまもずっとあってだから娘たちが黒人の父親に似てよかったなあってすごくおもうし、手前味噌ながらきれいだなあといつも思ってた。だから本人たちの想いはわたしはなかなか慮ることはできても共感できなかった。
彼女は中学3年の時はじめて人と違う見た目の自分を「これがわたしだ」と描いた。泣けた。
寮に入るのを決めたときこの先もう隣にはいられないがそのまま行け!と思った。
思えば保育していたころからどのこにもすばらしい力があって「そのまま行け!」と心の中で叫んでいた気がする。その子がそこのであるすべてを持って。
これからどんな未来が来てもいっぱいしんどいのも、いっぱいうれしいのもぜんぶぜんぶ持っていけ!まぶしいぜ!という想いをこめて、世界中のこどもたちに送るぜ〜❣️
アルバムには、ケロちゃんの愛猫ソングやわたしの発酵へ対する愛発酵ソング、ほかにも変な歌、愛の歌、ホカホカするかもしれない歌、おくはらゆめちゃんが歌詞を書いたチョーカッコいい曲なども取り揃えております❣️みんな聴いてね〜!
それにしてもpvのりんごの木のこどもたちの命のヒカリ、まぶしすぎるぜ!🎉
https://youtu.be/oCUmXj30kPg
▼アルバム「こどもロック」は本日より予約開始!▼
https://kaeruchan.shop-pro.jp/?pid=156362189https://youtu.be/oCUmXj30kPg

#こどもロック #ケロポンズ #りんごの木 #おなかペコペコズ #オースミユーカ

# by ponchimemo | 2021-01-08 13:58 | 未分類

石橋を叩かないで渡れるか?

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夕食後、お茶を飲みながら子どもたちと話していたときのこと。今年はコロナもあり、例年通りの行事が全くできなかった高校生活。その中で秋に文化祭をしようということになったという。できないことが多い中ではあったが『コロナ中でできることを出すのではなく、それは置いておいてとにかくやりたいことを出そう。」ということになったという。進めて行く中でやっぱりできないとなり諦めとこともたくさんあったけどできない前提で進めるよりもすごくよかったし楽しかったと言っていた。なるほど。しかも例年通りできないという中でやったことにより、例年に縛られず面白いことができたかもしれないとも言っていた。なるほどねー。
 大人になると経験上、これは無理かな?とかやる前から想像できてやらないことが増えている気がする。それで若い頃のように痛い目に合わず自分を守れていると言ってもいい。経験は素晴らしいのだ。だけどその経験が自分の行動や可能性を狭めていることもあるのかもしれないなあと娘の話を聴きながら思った。日々、子どもたちから学ぶことが多いなあー。ほんまにありがたいなーと思う。
『石橋を叩いて渡る』ということわざがあるけど、そのときは石橋だけを見つめそろりそろりと足を出しているんだろうかと想像してみる。石橋の向こうにある景色も見ないで。
 よし。目を上げ景色を見つめて一歩を踏み出してみよう!
いや...やはり橋の状態は確かめたいかな。。。私は小心者だ。
石橋は叩かないかもしれないけど確かめて渡りたい。かな。(笑)
[写真は10年前くらいのお宝写真。]

# by ponchimemo | 2020-11-23 13:18 | 日記

人と人 命と命

先日、娘の高校の入学式で校長先生がコロナウイルスによる学校のいまの状況、そしてこれからについてお話しされた結びに
「これからの学校のあり方や進め方については、子どもたちと相談しながら考えていきたいと思います。」
と言われたのを聞いて感動し、思い出したことがある。
 以前わたしが家族のあり方について悩んでいた時、りんごの木子どもくらぶ代表の柴田愛子さんに相談したときのことだ。
「そのこと、子どもたちに相談した?」
と言われた。当時子どもたちは小学3年生か4年生だった。わたしの中ではまだまだ小さな子どもたちだ。
「いや、やっぱりわたしが大人としていい方法を見つけてあげないと。」
と泣きながら言うわたしに
「あら、子どもたちとあなたは家族でしょ。子どもたちにも想いがあるから相談してごらんなさい。家族としていい方法が見つかるわよ、きっと。」
と愛子先生。先日の校長先生と同じ、完全に子どもたちを信頼している人の言葉だった。そしてその夜相談し、子どもたちはしっかりといまの状況を考えて自分の考えを告げてくれ、家族の道は3人の相談によって決まって今がある。
 さらに思い出したことがある。保育をしていた頃わたしはよく子どもたちに日々の悩みや考えていることについてよく相談していた。思えばその当時わたしは子どもたちを小さいと思ってなかった。遠足などで駅などを歩いていると
「あら、小さくてかわいいわねー。」
と道ゆく人に言われてびっくりしたものだ。この人たちは世の中的には小さいのか!と。人の大きい、小さい、は関係ない。(もちろん考えるべき場合もあるが)誰にも心があり、誰にも想いがある。大きいから立派とか経験が豊富だから決められる、とかじゃないんだ。そもそも信頼しあって生きていれば、何歳だって関係ない。人と人。命と命だ。
 保育をしていた頃の子どもたちももうすぐ30歳か。今会ってもなぜか当時感じていた先輩感が抜けない。頭をぺちっと叩きニヤニヤしながら
「ラタ、小さくなった?」
とか言われる。子どもたちの外見は大きくなっても、心は昔とおんなじ大きいままだ。人の入れ物の様子は変わるが中身は変わらないのだなあと大きな体に肩を組まれながら思う。さらに思い出したが、当時C先生と『ちっくんぱっくん』という縫い物をしたり、料理をしたりする放課後クラブをやっていた時、となりで蒸しパンをほうばりっていたMちゃんに
「ラタはいいねー。毎日りんごで遊べてさ。うちのパパは大人だから毎日お仕事に行ってるんだよ。ラタも食べるの好きだからこのクラブに入ったの?」
と聞かれた。ええと、私は保育士で...ええと、このクラブもC先生と一緒に先生として...とか言いたかったが、この言葉を私は蒸しパンと一緒に飲み込み
「そうだよ!」
と言ったら
「やっぱりね。」
とMちゃんはニヤッと笑った。



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                     2004年刊行(絶版)
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# by ponchimemo | 2020-06-22 08:54 | 日記

家も畑

唐突だけどわたしは畑が好きです。自分の食べるものを自分で作りたい、子どもたちと自然豊かな中で暮らしたい、そんな想いで9年前安曇野に移住してきました。畑に撒いたタネが芽を出した時の嬉しさ、育って初めて花をつけた時の喜び。毎年同じのようで全く同じでない、これはケロポンズの活動にも通じるものがあるなあと思います。そしていつも発見があり、うまくいかなくても自然が相手だから仕方がないなあ、なんとかなるやと潔く諦められる広さもあり本当に畑って面白いなあと思います。近年は自宅に植えていた人参が数年前に花を咲かせてタネが広がり、わたしは何もしなくても人参ライフが勝手に繰り返されています。わたしはその合間に葉っぱや花芽を時々いただいてかき揚げやスープ、コロッケ、餃子などに使わせていただいてます。
 さてそんな中コロナが起こりました。コンサートはできなくなり自宅にずっといるようになったので、近所の友達に誘ってもらってソーシャルディスタンスを取りながら近くの山々を歩くようになりました。山は畑以上に自由で豊かで日々変化があり毎日が発見の連続で美しく面白くてしかも食べられるものや薬になる草などこんなにたくさん近所にあったのかと驚くばかり。色々大変なことも多い中でこの日々と子どもたちとの日々はかけがえのないものになりました。
 そして先日ずっとリモート授業だった娘の高校がやっと始まることになり入学式に行ってきました。その入学式で理事長先生が挨拶の中で
「学校は畑でありたいと思っています。子どもたちは種。それぞれに自分の力で育っていく。私たち教師や保護者は風であり土であり雨であり太陽でありたい。」
と言われました。ああ、本当にそうだなあと。同じ花を咲かせるわけではなく、それぞれにそれぞれの花を咲かせる。育てるのではなく子どもは自分の力で育つ。それを見守ろうという理念は素晴らしいなあと思いました。この話を友達にしたら
「ああ、そうなんだよ、そうなんだよ、そうありたいといつも思うけれど、ついつい忘れちゃうんだよなあ、子育て中に。なんか施したくなっちゃうんだよなあ。年の功をかざして。家も畑。」
と。そうだ、そうだ。家も畑だ。わたしもついつい指示したくなって、ついつい自分の価値の中に置きたくなってドカドカと踏み込んでしまう。日陰を作ってしまう。だけど畑だと思えば気持ちももっと自由にゆるくいられるかも。どんな花を咲かせるかどんな実をつけるかワクワクするあの感じ、野菜の力を信じて見守る、あの感じ。家も畑。ああ、そうだ。もしかして大きくなってきたらもはや畑でもなく山なのか?山の木々のそれぞれに生きているあの感じ。うちの子らは高校生。そろそろ山の域かなあ。この春感じたことを忘れず歩いて行こう。
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# by ponchimemo | 2020-06-15 16:48 | 日記

『暇』がくれたもの

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家にいる時間が増えて『暇』なので家を片付けることにした。子どもたちが小さい頃に使っていたおもちゃや絵本、子どもたちの絵や作品、手にとって眺める。おもちゃや絵本は近所の放課後デイをはじめた知り合いに貰ってもらった。猫たちが襖をビリビリにしていたので襖も張り替えた。一箇所触るとその隣が気になって数珠繋ぎ的に家を片付け始めた。面白い。忘れていたものがゴロゴロ出てくる。(いかにぐちゃぐちゃだったか。笑)大好きだった『サボテンブラザーズ』のDVDを見直す。やはりくだらなくて好きだなあと思う。『奇人たちの晩餐会』←フランス版の方 も出てきたのでまた見てみよう。子どもたちはもし見れるなら井上ひさしさん脚本で若き宮崎駿監督が関わってる『長靴を履いた猫』というアニメが音楽も映像もめっちゃオススメ!!

それにしても今の状況はどう考えても見えないものとの戦いで先の見えない不安もある。だけどできればその今を不安に苛まれて生きたくない。元来楽天的なのでそんなに長くはもともと悩めないけどでも不安にもなる。色々考える。そういえば『暇』ってどういう漢字の成り立ちなんだろう?と気になって調べてみた。『暇』の漢字は岩石から取り出したばかりの未加工の玉という意味なんだそう。つまり『暇』は隠れた価値を持つもの、らしい。適当な調べ方なので違ってたらごめん。でもそれで思い出した話がある。若い頃知り合ったインド好きのおじさんがいつもインドの話を面白おかしく教えてくれた。その話の中で
「インドってさ、めちゃくちゃ暑いのよ。暑くて暑くてもう何もしたくない。それでみんな木の下でダラダラしてるんだけど、あの何もしないダラダラした時間があったからブッダは仏教を開けたんだと思う。涼しくてあくせく毎日働けていたら悟りは開けないって。わっはっは。」
いくら『暇』でも私に悟りは開けない、でも見失っていたものが見える、そんな体験をしている気もする。大変なときは大切なことに気づくとき。そう思って今日も行こう。







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# by ponchimemo | 2020-04-14 19:22 | 未分類

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